【不安と達成感】順調な研究生活【院長の人生ノート33】

北大整形の大学院生は研究室での実験や作業の他に週2回、外勤先でアルバイトをして生計を立てるシステムになっています。それ以外にも他の病院の当直や救急対応のアルバイトなどで生活費を稼ぎますが、基本的には外来や救急対応が中心で、手術をする機会はほとんどありません。それでも、研究ばかりするよりは臨床現場にでることでちょっとした気分転換になることと、少しでも臨床医としての知識や勘をキープできるため大変有難かったです。
なんやかんやで試行錯誤していきながら実験も進み、大学院生活も3年目になるころには研究の方向性もだいぶ見えてきました。正直にいって、研究を始めた当初、実験の結果がうまく出ないときには、「本当にこの研究の結果が出て大学院を卒業できるのだろうか」というような不安がありました。私は今まであまり悩みのない人生を送ってきたため、睡眠で困ったことなどはありませんでしたが、生まれて初めて不安で夜中に目が覚めるといった経験もしました。そんなことを思うと、研究の方向性が見えてくるということは、心の安定に多大なる影響があり、日々の生活も大変充実したものになったと思います。
ただ、実験が順調に進んでいっても研究に終わりが見えてくるというわけではなく、須藤先生からは次から次へと高次元の課題が課されていくことになりました。ウサギの実験と細胞培養で始まった研究ですが、ウサギで結果が出ると次はヒツジの実験を行うことになり、ヒツジの個体を集めたり、本州の実験施設を借りて群馬まで実験をしに行ったりと、幸か不幸か実験のハードルがどんどん上がっていきました。
さらには、須藤先生が研究費を獲得したために生体力学の専用機械を購入することになりました。生体力学の実験を行うために、ヒツジの椎体-椎間板組織を取り出して北大工学部まで出張し、ひたすら機械にヒツジの組織を載せて力学実験を行いました。3年目の冬から4年目の春にかけて工学部の実験が続いたため、雪で埋まった北大校内をヒツジの組織をクーラーボックスに入れて運び、粛々と実験を行ったことは大変なことでしたが、今となっては大学院時代の印象深い思い出の一つです。
院生4年目になると、私のヒツジの実験結果がでてきたため、須藤先生がこの結果を基にヒトを対象とした臨床試験を行う計画を立案されました。ヒトに対する臨床研究ですので、計画には妥当性の他にも、緻密さと安全性に対する慎重さが求められます。そのため、医薬品などの健康被害救済、承認審査、安全対策の3つの役割を一体として行う公的機関である独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)に出向くことになりました。私が研究していた高純度アルギン酸ゲルを椎間板治療剤としてヒト臨床試験に用いるために評価してもらい、研究資金を獲得する目的です。

この時期には月1回くらいのペースで須藤先生と製薬会社の担当者一緒にPMDAのある東京・霞ヶ関に行っていました。ここでは製薬や医療機器の開発段階での過程を垣間見ることができました。大学院生の身分ながら、このような体験ができたことは本当に貴重なことだったと思います。高いハードルを越える仕事とはこういうものだということを、すぐ傍で見て実体験できたことは、その後の仕事に対する姿勢の一つの基準となり、今でも生かされています。(ちなみに、須藤先生は無事にPMDAから数億の研究資金を獲得されていました)
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