【関西帰還と開業への決意】クリニック経営を考える【院長の人生ノート40】

このように仕事もプライベートも充実した生活を送っていましたが、2022年ごろから地元の関西に戻ることを考え始めました。2010年に北海道に来るときは、10年くらいで地元の関西に戻ることを考えておりましたが、気が付けば10年はあっという間に過ぎていました。丁度そのころ、両親も高齢になったり弟が病気で倒れたりといったことがあり、今まで実家にもあまり帰省せずに迷惑ばかりかけていたという思いもあり、いい機会だと思いました。
ただ、大学・研修医は高知、さらに長年北海道で整形外科医としてのキャリアを形成してきた私にとっては、地元とはいえ関西での医師生活は未知の世界です。脊椎外科医として順調にキャリアを積み上げてきましたが、関西でも脊椎外科医として一線でやっていけるかどうかわかりません。そこで、以前から考えていたクリニック開業について、このタイミングで具体的に検討するに至りました
医師という職業の第一の目的は、目の前の患者さんの病気を診断し、治療を考え、あるいは予防することにより、患者さんの「健康を守る」ことにあると思います。私は医師になってから臨床現場で患者さんの健康を守ることで感謝もされ、やりがいを感じてきました。そして、それが社会に貢献できる自分の武器であると思いながらやってきました。
脊椎外科医として手術を行い治療すること。このことは、間違いなく社会に求められていることだと思います。ただ、もし脊椎外科医として一線から退いたら外来での投薬やリハビリといった「切らない治療」、つまり保存加療が中心になってきます。そうすると、より多くの患者さんを診察して保存加療を行うことが、より社会に貢献できるのではないか。しかも、地元の関西でクリニックを開業することができれば、地元への社会貢献ができるのではないか。このように考えたのです。
さらに、私は元々「経営」というものに非常に興味がありました。元々子供のころから社会科が最も得意であり、地理や政治・経済といったものに触れることが好きであったため、例えばスティーブ・ジョブスやウォーレン・バフェット、イーロン・マスク、孫正義といった世界の著名経営者の伝記を読んでは、彼らの凄さに興奮したものです。さらには、高校時代のラグビー部の同級生は会社を企業して上場させたり、税理士事務所や歯科医院を経営したりとすでに経営者となっているものも何人かおり、経営に対する興味は増していました。
大病院にいると自分の力量に関係なく病院の「看板」で患者さんは集まってきます。しかし、もしクリニックを開業するとなると病院の看板はなくなり、ある意味自分の力量が問われることになります。先ほど述べたような偉人達の経営とは全くレベルは違いますが、私も自分の力量が試される世界で勝負してみたいという気持ちもあったことは確かです。
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