【番外編】研修医2年目に書いたコラム【院長の人生ノート】
釣りと白衣とわたし
研修医2年目 辻本武尊
青い空、白い雲、そして光るほど見事に焼けた黒い肌。私は今、まるで山上の上流から落ちてくるような速さで流れる、高知県特有の黒潮に四方を囲まれた荒磯の上に立っている。そう、言うまでもない。私は自他共に認める程の無類の釣り好き、俗にいうところの釣りキチである。私にとって磯の上は何事にも変えがたいほどの極上の場所だ。
今日は午前1時、草木が眠りかけるよりも前に自宅を出発し、午前5時には日常とはかけ離れたこの場所に立っていた。普通の感覚では眼瞼を開くことも難しいはずのスケジュールである。しかし、眼前いっぱいに広がるこの上なく雄大な景色の中に身を委ね、見えない糸に心もとなく繋がれている刺餌のエビの事について想像を膨らませていると、少し気が緩めば今この瞬間にも記憶を飛ばす事になることなどは微塵も感じなくなるのである。
バシュッッ!
実際には聞こえるはずのない音を私の頭に響かせてウキが海中に沈む。手元に伝わる強烈な衝撃を全身で受け止めながら必死で地面に張り付く。心もとないはずの細糸が、この時ばかりは誰よりも頼もしく思えてくる。エビに喰らい付いた未知の魚をこちらに振り向かせようと竿を天に向けた瞬間、突然に手元の張力が無くなる。まるで矢が放たれた後の弓弦のように小刻みに震えた竿先をぼんやりと眺めながら、私はどうしようもない失望感を胸に覚えるものの、次に沸き起こるかもしれない興奮に淡い期待を抱くのである。
思えば釣りを始めたのはいつ頃からであっただろうか。大阪の街中で生まれ育った私は、大学入学により高知に縁が出来ると、直ぐにその優美な自然の虜となった。北の内陸を見渡せば幾本もの清流が巻き付くように流れる壮麗な四国山地がそびえ立ち、南は日本有数とも言われる透明度と無数の生命に満ちた太平洋に囲まれた陸の孤島、高知県。それまでの環境から考えるとあまりに特殊な地に立って、狩猟採集という多くの都会人が忘れてしまっていた本能が私の体の中で爆発したのである。春には山菜取り、夏には魚突きや渓流釣り、秋になると山で木の実の採集や海の青物の引きを楽しみ、冬になると本格的に磯釣りのシーズンになるので飽きる事がない。勉学の合間を見つけては山海を駆け巡り、大自然と自らの感性との一体感にこの上ない喜びを感じながら青春の一時に身を置いたのである。このように海も山も分け隔てなく愛し、毎日を過ごしていたある時に、私と同じく高知を謳歌していたある友人が何の前触れもなく突然こうつぶやいた。「お山さんが好きです。でも、お海さんの方がもっと好きです」。このどこかで耳にしたような懐かしい響きをした台詞に、どうしてか私の心は囚われることになった。以来、私は一生涯の友になるであろう釣りに没頭しているのである。
懐かしい記憶に思いを馳せていたが、私はふと現実に帰らざるを得ない状況にある事に気付く。見れば私の眼前に在るはずの橙色のウキが蒼色の海の中に潜り込んでいる。考えるよりも先に自然と体が動き、再び竿全体を高く天に掲げる。身体の真芯の沸き立つ興奮を必死に抑えながら、まだ見えない相手と無我夢中でやり取りをする。と同時に相手の魚の顔に想像を巡らせる。この後に訪れるであろう顔合わせの瞬間に、私たち釣り人の心境は大いなる歓喜とも激しい落胆ともなる訳なのだが、此れこそが釣りの何よりの醍醐味なのである。そう長くもない闘いの末、私の視界にゆっくりと魚体が姿を現す。
やった!!
紺色の静かな海の上に浮かび上がったのは、春の彩りを思わせる美しく荘厳なる身体を携えた桜鯛(注)。長年追い求めている恋人の姿を前にして、疲れの見えていた私の心はまるで白衣のように純白に染められたのであった。
こうして私の短くも充実した休日は歓喜と共に終わった。さあ、明日から診療だ!
(注)桜鯛…3月下旬から4月の桜の咲く時期に産卵のために浅場にやってくる真鯛の事。ちなみに真鯛は「魚の王様」とされているがこの時期の真鯛がもっとも脂がのり旨いと言われている。
高知医療センター広報誌「こころ」第10号(2009年9月発行)研修医のページより
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