【2回目の北海道】北大整形外科への入局【院長の人生ノート22】

2010年4月、私は北海道大学医学部整形外科教室に入局しました。私の整形外科医としてのスタートは、約9年ぶりの北海道での生活となる懐かしい感情と、全く新しい環境に身を置くことによる高揚感とで身の引き締まる思いで始まりました。
北大整形外科は入局するとまず初めの1年間を大学で研修し、その後北海道各地にある関連病院に派遣されて勤務するという研修スタイルでした。大学での研修は、私のように入局1年目の新人医師と、各地の病院で経験を積んできた入局4年目の先輩が配属され、新人医師は先輩に整形外科医としての基礎を徹底的に叩き込まれながら研修します。
私の同期の入局1年目医師は私を含め4名でした。当時の北大整形外科は、あまり勧誘活動をしていなかったせいか新加入の入局員は毎年3-8名程度と、旧帝国大学医学部の整形外科としてはかなり少ない状況でした(現在は毎年15名程度入局しており隔世の感がありますが)。同期の他の3名は北海道大学、札幌医科大学、秋田大学とそれぞれ別々の大学から入局してきていました。
北大整形では入局1年目医師は当時のグループ分けで脊柱班・上肢班・下肢班の3グループに3か月ずつ所属し、残りの3か月は関連病院での研修となります。それぞれグループでは所見の取り方や画像の読み方の基礎を入局4年目の先輩医師からつきっきりで学び、そして症例ごとにスライドにまとめ、そこから医師10年目前後の「病棟係」という各グループの若手医師にチェックしてもらいます。その後、各グループ内で症例をプレゼンし、そこでチェックしたものを教授や教室スタッフの前でプレゼンします。このようなプロセスを毎週繰り返し、新人医師は整形外科医としての基礎を徹底的に叩き込まれます。そして1年間大学で学んだ基礎を元に、大学外の関連病院で実臨床の現場に立ち、整形外科医として成長していくのです。

私が入局した当時の教授は手の外科専門の三浪明男先生で、各グループの主任にも上肢班の岩崎倫政先生(現北大主任教授)、下肢班の眞島任史先生(前日本医大主任教授)、脊柱班の鐙邦芳先生(元北大保健学科教授)といった強面の先生が並んでおり、各グループ内のプレゼンや全体プレゼンでのプレッシャーはものすごく、必死に勉強してスライドを作り、プレゼンに臨んだものです。
どのグループも非常に厳しく指導していただきましたが、特に脊柱班でのプレゼンは緊張感がありました。当時は鐙先生の他に、伊東学先生、小谷善久先生、須藤英毅先生、安部雄一郎先生がスタッフでおられ、病棟係も長濱賢先生と岩田玲先生が控えており、新人整形外科医の私にはみな雲の上の存在でした。当時の脊柱班のプレゼンは火曜日の夕方に行われていましたが、手術終了後の19時頃から開始し、長いときは3,4時間かけて翌週の手術症例を研修医がプレゼンし、それを元に皆でディスカッションを行います。我々新人医師がプレゼンすると、長いときは1症例につき1時間くらいあらゆる部分で質問を受け、所見だけでなく、病歴の取り方なども細かく指導されるといった感じでした。
このような感じで毎日緊張感をもって勉強し、終わるとほぼ毎日、先輩方と飲みに出かけるといった感じで、厳しくも充実した日々でした。大学研修医時代にみっちりと勉強したことで、診察から画像の読み方、診断まで整形外科医としての基礎がしっかりと染み込み、非常に充実した1年間でした。これらの基礎は、今でも私の日常診療の基礎となっています。
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