【多くの臨床経験】釧路労災病院へ【院長の人生ノート24】

 函館中央病院で3か月間の臨床研修を終え、4月に釧路労災病院に異動になりました。北大整形外科では入局したての後期研修医は大学で1年間研修した後、各地の関連病院を1年ごとに回ります。どこの研修病院を選ぶかは、与えられた候補の中から同期同士での話し合いで決まる仕組みでした。私の同期4名はくじ引きをして、番号順に自分の行きたい病院を選ぶという方法を取りました。この時は確か2番目のくじになり、釧路労災病院を選んだように記憶しています。

 同じ道内とはいえ北海道は広大です。私は函館から釧路まで移動しなければなりませんでしたが、函館は北海道の南西の端、釧路は北海道の東側に位置しています。移動距離は何と542㎞(Google Map調べ)。東京-大阪間が499kmですので、その距離を軽く超えています。私が移動した3月下旬の北海道はまだ雪が積もっており、このような長距離移動は非常にストレスがかかります。実際、私は函館から釧路まで7-8時間くらいかけて1日で移動しましたが、釧路にたどり着いたときはすでに周りも暗く、疲労困憊になっていました。

 釧路は北海道の東側地域である道東の中心都市で、私が働いていたときは人口約17万の都市でした。この地域の中核医療機関は釧路労災病院と市立釧路総合病院です。私が赴任した時の釧路労災病院整形外科には、脊椎専門の放生憲博先生をはじめ下肢専門の五十嵐達弥先生、上肢専門の渡辺直也先生、4つ上の深谷英昭先生と私の計5名が在籍していました。

 整形外科医5名と、都会と比較すると少ない人数で、年間約1,000件の手術と病棟管理、外来診療や救急対応をこなさなければなりません。私はまだ完全に駆け出しの整形外科医でしたので、右往左往しながら必死に病棟管理、外来診療、手術をこなし、体で整形外科の臨床現場を覚えていくような生活でした。さらに、仕事が終わると飲み会が週に3-4回くらいはあり(毎回必ず午前2-3時くらいまであります)、その間には夜間当直や休日の当番などもありましたので、家にはまさに「帰って寝る」だけの生活でした。

 釧路労災病院では外傷の手術を中心に1年間で160-170件ほどの手術を執刀しました。部位としてはほぼすべて四肢外傷であり、脊椎の手術はほぼ助手のみで、放生先生にご指導頂き、腰椎椎間板ヘルニアの手術を1件だけ執刀させて頂きました。それでも数多くの手術を経験させていただき、整形外科医として大きく成長できたと感謝しております。

釧路労災病院で多くの手術を経験する

 仕事以外でも、地元出身の釣り好き看護師とサケ釣りやアメマス釣りといった北海道ならではの釣りを楽しみました。釧路の夏は霧が発生しやすく晴れることがほとんどないため、最高気温が20℃前後と過ごしやすい季節です。ただ冬になると最高気温が-5~-10℃、最低気温は時に-20℃くらいまで下がり、まさに凍てつく寒さでした。アウトドア好きで、特に夏が好きな私にとって、釧路の気候はきびしく、まさに試練の地でした。

渓流と紅葉が織り成す釧路の美しい景色

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